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タロットは私の分身

本日は私のタロットに対する個人的な思いについて書き綴っていきますね。

私がタロットカードというものに出会って早14年、タロット占いをしていると、未だそのカードの出方や並び、カードを連結させた複合的な意味に驚愕したり、その不思議さに驚くことがあります。


私は今年50歳になりました。 占いに関係なく、人間は50年生きていると様々なことが分かってきます。というのは、単なる教科書的な理解ではなく、国家の成り立ちから、世の中の構造や社会がどのように回っているかなど白の部分や黒の部分、裏の部分まで分かってくるんですよね。そして人間の心の表や裏の部分も分かってくるので本当に不思議です。比喩るとすれば「人生は神が与えたパズルなのでは⁉」と思える程です。その導く過程はまるで人生の解答を解き明かすかの如く、パズルを解くかのような感じですから。


今の私の思考も将来、変化し、変わりうる、そして未来は非線形で成り立っているため不確実性を伴うのは常であり、そして予測不可能な事も起きるという事実も単なる「知識」としてではなく、「感情」がセットで体感するように、同時に、どこかで冷静に客観視するように、俯瞰するかのように分かってくるのです。


また、分かったようで実際には分からない事が沢山あるということも分かってきます。つまり分からないということが分かってくるのです。理解したようでも実際には間違っていたということが今後の人生の中で「ある」ということも容易に想像できるようになります。抽象的な表現になりますが、どちらの可能性も認め、なんの抵抗もなく、思考が自由に行き来できるような感覚です。


要は、50歳というのは、人間とは何かという点から始まり、資本主義、人間関係、現代社会、この世のメカニズム、圧力等など、全ての全体的な流れを含む「結論」みたいなものを体感してしまう年齢とも言えるかもしれません。その帰結するところは、即ち、人間の集合体で形成された共通認識やバイアスさえ取り除けば、人生は凄く楽しいという事、それに真の意味で気づいた瞬間から人生が本格的に楽しめるという事です。人間はそのように出来ているという事が今ではハッキリと確信できるのです。神様に感謝ですね。


社会には「都合」というものがあり、その都合によって発生した「目に見えない力」によって、私たちの認識というものは当然なものとして、当たり前となります。別の言い方をするのであれば思考が硬直化してしまうのです。でも実際には人間誰しも、びっくりするような凄い能力や感覚・生命機能・思考の転換力が備わっているんですけどね。


そういった概念が50歳になると「はっきりと分かる」のです。 このような体験をすると、分かった後と、分かる前とを天秤にかけた時、年をとるのもまんざらではないな、と思う反面、今よりも分からない事の方が多かった時のほうがドキドキ感や、冒険心のような感覚が全方向に続き、楽しかったのではないかとも思うのです。


さて、話をタロットに戻しましょう。 タロット占いは、私が知らなかったことを知るまでのドキドキ感や、好奇心と探究心を刺激してくれます。「そうそう、この感覚!これを待っていた!」という感じで、適度な刺激で心がスッキリするのです。そして、もう一つの効果として、「分かり過ぎる思考」を元に戻し、さらに柔らかくしてくれます。これは大袈裟ではありません。


タロット占いは本当に楽しいですよ。違う方向から刺激がくるような感じで、子供の頃に感じたドキドキ感を大人になっても感じることができます。年齢は関係ありません。そういった神秘体験があるゆる場面において活力となります。「百聞は一見にしかず」、是非、皆様もタロット占いを体験してみてください。


人生はパズルのようなもの
12月23日


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